Moiz's journal

プログラミングやFPGAなどの技術系の趣味に関するブログです

 私の故郷では葬式に晴着を着る。
 もちろん全員ではない。若い孫娘がいる老人の葬式だけで、晴着を着るのはその孫娘かまれにひ孫たちだ。参列者の列にぽつぽつと混じった晴着姿は、見慣れているはずの私にとってさえ不思議な情景だ。
 私の育った地域は東北の山間で、昔は貧しい寒村だった。今でこそインフラや医療機関も整備され80や90以上の老人も珍しくなくなったが、昔は平均寿命も短かったようだ。ここからは私の勝手な推測だが、おそらくこの習慣が始まった当時、孫が晴着を着るほどまでに成長する姿を見れるのはごくごく希なことであったのだろう。その姿を見て亡くなるのはまさに大往生であって、悲しいながらも祝うべき行事として認識されていたのではないだろうか。そんなふうに考えると、真っ黒な喪服を着た参列者の列の中、ひときわ明るい晴着姿の女性たちの姿が、よけいに寂しく映る。美しい晴着は、貧しさと惨めさのつくった影なのだ。
 去年世界中で、非業の死を遂げた人は何人いるのだろう。ダルフールだけで7万人以上が亡くなり、数十万から数百万人が難民となっている。そして、昨年末のスマトラ沖地震の被害でも、これまでわかっているだけですでに15万人が亡くなった。悲しみをより深くするのがこれら両地域の人たちの多くが、貧しさの中で本来受けるべき庇護を受けられずに亡くなってしまったという事実だ。本来孫達に囲まれて天寿を全うすべきだった、数十万の人たち!
 ダルフールの被害者の方々、スマトラ島沖地震の被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。